第4回 「なにもかも は・じ・め・ま・し・て!都市大女性研究者支援事業」

2012年より男女共同参画室の初代室長を務められた、岡田往子先生が3月でご定年を迎えられました。原子力研究所での研究の日々、2009年の文部科学省科学技術振興調整費の採択、男女共同参画室の前身である女性研究者支援室の立ち上げ、そして現在のダイバーシティ推進室に至るあゆみについて、お話していただきます。

2009年6月、女性研究者支援モデル事業(現:科学技術人材育成費補助事業)採択の連絡が入り、それからの私は四六時中、積算作業を行うことになります。国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)の担当者は「人件費があるのだから、早く経理担当者を雇って」と何度も言うのですが、大学全体への周知も進まず、この事業の担当となった浦田課長と私の二人で作業を進めていました。休日であろうが夜であろうが携帯電話が鳴っては積算資料の問題点を指摘され、すぐに修正版の提出を要求されます。

女性研究者支援事業の経費の多くは人件費でしたから、早めに人材の確保をと勧められたのですが、当時、本学にはコーディネータという仕事を担う枠や前例がなかったため、教員として雇わなければなりません。実績ある人材の確保は非常に難しく、国の委員をしている女性が手を挙げて下さったのですが、年齢制限で引っかかるなど、まったく上手くいきません。経費は4月に遡っても構わないと言われましたが、大学からの許可が下りず、アルバイトさえも雇えないまま、ただただ積算作業に励むだけの日々が続きました。

7月末にようやく書類面でのOKが出ましたが、前述したように、この費用は人件費が半分以上を占めるものなので、人が雇えないと経費も積みあがりません。研究費でアルバイトを雇い、事業を進める決断をして、まずはキックオフシンポジウムを10月に計画しました。

9月になってやっと、小川順子室長(准教授)と大石みち子コーディネータ(講師)を迎えることができました。小川室長の繋がりで、シンポジウムに登壇するにふさわしい方として女性国会議員を予定していたのですが、9月の政権交代で断念。シンポジウムが迫る中、中村学長のご紹介で、東洋大学経済学部の白石真澄先生と立教大学の荻原なつ子先生に登壇していただくことになりました。

左から塩田さん、岡田先生、小川室長、鈴木さん、川越さん

結果、10月3日のキックオフシンポジウムは学内からも多くの先生方が参加して、大盛会となりました。
ボールは空高く上がり、女性研究者支援室は小川順子室長、大石みち子コーディネータ、岡田往子プログラム担当、鈴木幸子事務担当、さらにスタッフの塩田さん、川越さんが入り、先ずは6名でスタートしました。その後、各学部から選出された室員が加わり、①プラス1プロジェクト、②広がれ!理工系大プロジェクト、③科学とともだちプロジェクト、④ロールモデル発掘プロジェクト、⑤基本的な環境整備、この5つのプロジェクトを軸に事業を進めて行きました。
(職名等は全て当時のもの)